2011.01/18 [Tue]
小指の思い出 パート9
小指の思い出パート9です。
パート10でキリ良く終わらせたいと思っています。
この怪我で一番耐えないといけなかったのは
無駄に過ぎていく時間。
そして、時間をかけても
この右手が使えるようになるのかどうか
先が見えなかったこと。
3回目の手術のあとは腱が切れやすくなっているということで
さらに用心して動かさないようにしていると
手のひらの中に一枚鉄板を入れたようになってしまい、
全ての指が丸まった状態で動かなくなっていました。
先生はなるべく早い段階で軽い癒着をはがさないと
このまま固まってしまうから、
思い切って手を開けと仰いますが、痛くてとても無理です。
ほんの少し動かそうとしただけで激痛。
自分ではとてもじゃないですが、指を伸ばすことなどできません。
するとある日、
本当に今伸ばさないとだめだから、
一気に行きますよ!と言われ
分かりました、お願いします、と観念しました。
そして次の瞬間。
私の手首をおさえて、曲がっている指を
せーので、がっ!と反対側に、ひと思いに、一気に、、、。
・・・痛いのなんのって、、、。
息が止まって、何が起こったのかわからないショックで
泣くなんてもんじゃありません。
嗚咽です。
痛くて泣くなんて経験は大人になってから初めてです。
私は昔から父親に厳しく育てられてきたので
おもいっきりのビンタくらいなら慣れています。
出産のときも痛みを感じませんでした。
小学生の時にアデノイドの手術をした時も
麻酔なしで除去しましたが、泣きませんでした。
それが、、、。
例えて言うならば
5本の指を反対側の手首まで
一気に曲げられたときくらいの痛みだと思います。
有り得ない。。
その後1週間、思い出しては泣けてくるんです。
先生に「どれくらい痛いか想像できないでしょ?」って
訴えておきました、とりあえず。
ほんとに痛いのよ。
で、その後は一回バリッと行ったので
普通に指が使えるようになるよう、リハビリ開始です。
作業療法士の方にゆっくりとマッサージをしてもらいながら
指の曲げ伸ばしをしてもらうのですが、
それも相当痛くて、毎日冷や汗をかきながら辛抱していた気がします。
リハビリ施設でもいろんな方との出会いがありました。
それぞれ怪我の状態が違うので
どういう状況で怪我をしたのかお互いに語り合います。
毎日同じ顔触れで、まるで学校に通っているかのようでした。
バイク事故で左の肩を痛めて、そのまま腕全体が動かなくなった人。
入社して一日目に工場のローラーに右手を挟まれて
手首から上がぺしゃんこになってしまった人。
仕事中、1万ボルトの電流に感電して体が不自由になってしまった人。
生まれつき右肘から先がない子ども。
事故で左足一本根元から無くなった人。
などなど。。。
例えばバイク事故で左手が動かなくなった人は
一生自分の右手で左手を人為的に動かさなければならないそうです。
リハビリも一生続くのです。
なぜならば、手がだらんとしているので、血が指先に集まってしまい、
そのままにしておくと鬱血して腐っちゃうんですって。
右手がぺしゃんこになってしまった人は足の指を切って手に移植。
その指を使えるように毎日訓練していました。
足にはお尻の肉を切って指の形にして移植しているとのこと。
一か所怪我をしただけで、あちこち切り貼りされてしまいます。
私なんかは大したことのない部類でしたが、
ここで本当にいろんなことを感じたのです。
まず、「怪我の大きさと心の傷の大きさは比例しない」こと。
大した怪我でなくて、見た目もどうってことないのに
死ぬほど悩んで愚痴ばっかり言ってる人がいるかと思えば
足が一本なくなってもまだ両手がある!と言って
落ち込んだみんなを明るく励まして歩く人もいます。
若くして体に障害を負ってしまった人は
一生それを抱えて生きていかなくてはなりません。
どれだけ努力しても元には戻りません。
無くなった腕は生えてこないから。
だとしたら、この人たちに救われの道はあるのだろうか?と
真剣に考えました。
私にできることは明るく笑顔で挨拶すること。
お気に入りの本を差し入れすること、くらい。
その時差し入れした本は先に紹介した星野さんの著書や
飯田史彦さんの『生きがいの創造』です。

おせっかいとは思いつつ。
その後お会いしていないので、その本を読めたかどうかもわかりませんが。
起こってくることすべては自分で選んでプログラムしてきた。
そのように考えることで乗り越えてほしいと思いました。
そして私も乗り越えようと思ったのでした。
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パート10でキリ良く終わらせたいと思っています。
この怪我で一番耐えないといけなかったのは
無駄に過ぎていく時間。
そして、時間をかけても
この右手が使えるようになるのかどうか
先が見えなかったこと。
3回目の手術のあとは腱が切れやすくなっているということで
さらに用心して動かさないようにしていると
手のひらの中に一枚鉄板を入れたようになってしまい、
全ての指が丸まった状態で動かなくなっていました。
先生はなるべく早い段階で軽い癒着をはがさないと
このまま固まってしまうから、
思い切って手を開けと仰いますが、痛くてとても無理です。
ほんの少し動かそうとしただけで激痛。
自分ではとてもじゃないですが、指を伸ばすことなどできません。
するとある日、
本当に今伸ばさないとだめだから、
一気に行きますよ!と言われ
分かりました、お願いします、と観念しました。
そして次の瞬間。
私の手首をおさえて、曲がっている指を
せーので、がっ!と反対側に、ひと思いに、一気に、、、。
・・・痛いのなんのって、、、。
息が止まって、何が起こったのかわからないショックで
泣くなんてもんじゃありません。
嗚咽です。
痛くて泣くなんて経験は大人になってから初めてです。
私は昔から父親に厳しく育てられてきたので
おもいっきりのビンタくらいなら慣れています。
出産のときも痛みを感じませんでした。
小学生の時にアデノイドの手術をした時も
麻酔なしで除去しましたが、泣きませんでした。
それが、、、。
例えて言うならば
5本の指を反対側の手首まで
一気に曲げられたときくらいの痛みだと思います。
有り得ない。。
その後1週間、思い出しては泣けてくるんです。
先生に「どれくらい痛いか想像できないでしょ?」って
訴えておきました、とりあえず。
ほんとに痛いのよ。
で、その後は一回バリッと行ったので
普通に指が使えるようになるよう、リハビリ開始です。
作業療法士の方にゆっくりとマッサージをしてもらいながら
指の曲げ伸ばしをしてもらうのですが、
それも相当痛くて、毎日冷や汗をかきながら辛抱していた気がします。
リハビリ施設でもいろんな方との出会いがありました。
それぞれ怪我の状態が違うので
どういう状況で怪我をしたのかお互いに語り合います。
毎日同じ顔触れで、まるで学校に通っているかのようでした。
バイク事故で左の肩を痛めて、そのまま腕全体が動かなくなった人。
入社して一日目に工場のローラーに右手を挟まれて
手首から上がぺしゃんこになってしまった人。
仕事中、1万ボルトの電流に感電して体が不自由になってしまった人。
生まれつき右肘から先がない子ども。
事故で左足一本根元から無くなった人。
などなど。。。
例えばバイク事故で左手が動かなくなった人は
一生自分の右手で左手を人為的に動かさなければならないそうです。
リハビリも一生続くのです。
なぜならば、手がだらんとしているので、血が指先に集まってしまい、
そのままにしておくと鬱血して腐っちゃうんですって。
右手がぺしゃんこになってしまった人は足の指を切って手に移植。
その指を使えるように毎日訓練していました。
足にはお尻の肉を切って指の形にして移植しているとのこと。
一か所怪我をしただけで、あちこち切り貼りされてしまいます。
私なんかは大したことのない部類でしたが、
ここで本当にいろんなことを感じたのです。
まず、「怪我の大きさと心の傷の大きさは比例しない」こと。
大した怪我でなくて、見た目もどうってことないのに
死ぬほど悩んで愚痴ばっかり言ってる人がいるかと思えば
足が一本なくなってもまだ両手がある!と言って
落ち込んだみんなを明るく励まして歩く人もいます。
若くして体に障害を負ってしまった人は
一生それを抱えて生きていかなくてはなりません。
どれだけ努力しても元には戻りません。
無くなった腕は生えてこないから。
だとしたら、この人たちに救われの道はあるのだろうか?と
真剣に考えました。
私にできることは明るく笑顔で挨拶すること。
お気に入りの本を差し入れすること、くらい。
その時差し入れした本は先に紹介した星野さんの著書や
飯田史彦さんの『生きがいの創造』です。

おせっかいとは思いつつ。
その後お会いしていないので、その本を読めたかどうかもわかりませんが。
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そのように考えることで乗り越えてほしいと思いました。
そして私も乗り越えようと思ったのでした。
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